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by abkd_asia
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〈「昴(すばる)」と啄木(たくぼく)、その後〉   小木曽 友
                           一       
およそ20年ほど前に、次のようなエッセイを書いたことがあった。(『月刊アジアの友』1990年9月号)。

◇「目を閉じて何も見えず」―「昴」と啄木―◇
 
最近、おもしろい発見をした(と自分では信じている)。

  呼吸(いき)すれば、
  胸の中(うち)にて鳴る音あり。
  凩(こがらし)よりもさびしきその音!

  眼閉づれど、
  心にうかぶ何もなし。
  さびしくも、また、眼をあけるかな。

 これは石川啄木の歌集『悲しき玩具』の冒頭の二首である。
この二首の歌を読んで何か気づくことはないだろうか。そういえばどこかで聞いたことがある。はて? そう、谷村新司作詩・作曲「昴」の二番と一番の歌詞である。

  目を閉じて 何も見えず
  哀しくて目を開ければ
  荒野に向かう道より 他に見えるものはなし
  ・・・・・ ・・・・・

  呼吸をすれば 胸の中 
  凩は吠(な)き続ける
  されど我が胸は熱く 夢を追い続けるなり
  ・・・・・ ・・・・・

 谷村氏に確認したわけではないが、啄木の歌を下敷きにしていることはほぼ間違のないところであろう。用語と意味内容の共通性ばかりでなく、一番と二番がこのように鮮やかな対応を見せるというようなことが、偶然に起こるなどということは、まずあり得ないことだからである。あるいは、こんなことは既に周知のことなのに、筆者が寡聞にして知らないだけのことなのかもしれないが。(啄木が文芸雑誌『スバル』の同人であったことも、谷村氏が連想によって『昴』の曲想を得た可能性がある)。

 「昴」は「北国の春」と並んで、アジアで広く愛唱されている日本の名曲である。中国、韓国、タイ、シンガポールに至るまで、日本語のままで、あるいはその国の言葉に翻訳されて、この歌詞はそのまま歌われている。何年か前のある夜、シンガポールのホテルで、筆者のリクエストに応えて、フィリピン人の男性歌手が、キーボードの弾き語りで歌ってくれた日本語の「昴」は、生涯忘れることのできないほどの絶品だった。悠久の宇宙を感じさせる抒情的でロマンチックなメロディとともに、歌詞の内容の中に、何かアジアの人々の心を打つものがあるように思われてならない。
 
 「昴」の歌詞が啄木の歌を下敷きにしていると知って、何か納得のいくものがあった。「これは不思議なことですが、ほとんどだれでも啄木の歌は好きなんですね。・・・・・だれでも(啄木の歌集のなかに)自分の愛唱歌というものがあるのやな。こういう歌よみというのは、石川啄木しかないと思うんです」「西行とか芭蕉とかいう人は、日本でもいちばんポピュラーな人たちですけれども、それ以上に多くの現代人が啄木の歌の、どれかを好きになる。そのこと自体きわめて驚くべきことで・・・・・」「日本だけでなしに、やはりひじょうに世界性をもっているんじゃないかと思いますね」と湯川秀樹博士も語っている。(『天才の世界』)(中略)
 
 日本人のもつ生活感情、そのリリシズム、ロマンティシズム、ペシミズム、ノスタルジアなどが平明な言葉によって巧みに紡ぎ出されている。それはまさに「全体として人間の弱さと悲しさ、あるいは美しさ、淋しさというようなもを、多くの人々に感動的な表現をとって迫ってくる作品」(前出)である。

 「啄木」―「昴」、ここに日本とアジアの民衆の心をつなぐ秘密がひそんでいる、と言えばおおげさだろうか。アジアの人々は「昴」を歌うことによって、おそらく、「アジアへの侵略者」や「エコノミックアニマル」ではない日本人の心を感じとっているにちがいない。そこに、日本人とアジアの人々との麗しい心の交流の一つの可能性がある、と考えることはできないであろうか。

                              二
 
 それから10年以上もたった平成14年6月、遊座昭吾(元国際啄木学会会長)という方から次のようなお手紙をいただいた。〈写真は遊座氏ご提供のもの。(左から)谷村氏、遊座氏 〉

 突然お便りしますことを、お許し願います。かつて「月刊アジアの友」(一九九〇・九)をお送りいただき、「目を閉じて何も見えず」拝見した者です。その節はさっぱりご挨拶も申し上げず、失礼したことと思います。啄木の歌と谷村新司さんの「昴」との関係を初めて教えていただき、感銘を受けたことを思い出します。

 その縁で、谷村さんにお会いする機会を得ました.得がたい体験を与えて下さったと、深く感謝申し上げます。その感謝と記念に『白梅』(盛岡第二高校生徒会誌、平成13年発行)を送らせていただきます。目を通していただければ幸いと存じます。啄木が縁で台湾、韓国を訪ねたり、インドネシアの研究者と交流しております。
アジアを学び、世界を考えてみたいと思います。どうぞご指導賜りますようお願い申し上げます。
〈「昴(すばる)」と啄木(たくぼく)、その後〉   小木曽 友_d0161587_12172275.jpg

                                 三
 
 今年(平成22年)9月、木村博氏(天文学者)から、海部宣男著『天文歳時記』(角川選書、平成20年1月発行)に、次のような記述があることを教えられた。(同書79~81頁)20年前に、私が偶然発見した「昴と啄木」の関係は、どうやら、天文学的に見ても必然性のある深い意味をもったものであったようである。。

  詩集『あこがれ』で認められ、明治四十三年の『一握の砂』で歌人としても高い評価を得 た啄木だが、すでに貧困と病気に圧倒されていた。このころの啄木には、もう星をうたうゆとりはなかったのだ。死後出版された第二歌集『悲しき玩具』は、次の二首ではじまる。

   呼吸(いき)すれば、
   胸の中(うち)にて鳴る音あり。
   凩(こがらし)よりもさびしきその音!

   眼閉づれど、
   心にうかぶ何もなし。
   さびしくも、また、眼をあけるかな。

  凩は、一年後に啄木の命を奪う肺結核の、不吉な音だ。この二首を見て、次の歌を思い出 す人も多いのではないだろうか。

   目を閉じて 何も見えず 哀しくて目を開ければ 荒野に向かう道より 
   他に見えるものはなし 嗚呼 砕け散る 運命(さだめ)の星たちよ・・・・・

   呼吸をすれば 胸の中 凩は吠(な)き続ける されど我が胸は熱く 夢
   を追い続けるなり 嗚呼 さんざめく 名も無き星たちよ・・・・・


 海外にもなりひびいた谷村新司の名曲『昴』である。私もこの歌は大好きで、時に下手なカラオケで歌いもした。アジア文化協会常務理事の小木曽さんが機関誌『月刊アジアの友』に書かれたエッセイで教えられたのだが、谷村さんの『昴』は啄木の歌にヒントを得たものに違いない。谷村さんはそこから想像の翼をひろげて、つかの間の一生を輝き超新星として華々しく散る運命にある、すばる=プレアデス星団の若い星(青白巨星)をうたった。それは、天才の輝きを放ちわずか二十七歳の生涯を終えて散った巨星・啄木に捧げる歌でもあろう。
  
  啄木は明治四十五年四月、極貧の内に死ぬ。
  
   初夏の曇りの庭に桜咲き居りおとろへはてて君死ににけり
  
  家族三人以外でただひとり啄木をみとった、若山牧水の歌である。
                                        (アジア学生文化協会理事長)
 (注)ABKDHP-BBS 掲示板)に関連記事があります。



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