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〈水問題を考えよう 第3回〉 化学物質に汚染される水ー歴史を振り返って= 井上 駿
 1962年、アメリカの女性生物学者レーチェル・カーソンは「沈黙の春」(注1)を発表した。当時の最先端の農業技術であった農薬が、極めて薄い濃度で散布されているのにもかかわらず、生物界の食物連鎖によって濃縮され、汚染されたミミズ11匹に含まれるDDTは、コマドリを殺すのに十分な量だと指摘した。そして、それよりはるかに低い濃度で、鳥たちばかりでなく、薬品の届く範囲のありとあらゆる生き物を不妊の危険にさらすと警告した。汚染にさらされた鳥たちは生殖が出来なくなり鳥が自然界から消えていくという趣旨から書名は「沈黙の春」と名付けられた。
 1964年には同書の日本語訳が出、1974年には、小説家有吉佐和子が朝日新聞に「複合汚染」を連載した。そこではいち早く農薬の加害に気がつき警告を発し続けてきた奈良県五條市の医師簗瀬忠亮氏が紹介された。簗瀬氏は農薬の危険性を農家に訴えることによって、逆の命の危険を感じることもあったという。

1996年、同じく女性生物学者のシーア・コルボーンとその共同研究者たちは、いわゆる「環境ホルモン」の危険性を警告すべく「奪われし未来」を発表した。ある種の化学物質は生物に取り込まれてホルモンと同様の働きをするために、それを取り込んだ生き物に「オスのメス化」などの変調をもたらした。この一連の研究で取り上げられたのは古典的な農薬であるDDTをはじめとして、妊婦のつわりを和らげるDES、変圧器に詰めるPCB、そしてベトナム戦争の枯葉剤として悪名を馳せたダイオキシンなどだが、これらの化学物質が取り上げられたのはたまたまこれらについての研究データが他の化学物質よりは多かったからである。この本の中で、例として挙げられているPCBは、アラバマ州の工場から漏れ出して数千キロの旅をし、その間に食物連鎖による濃縮によって北極海の白クマの体内では数百万倍になると報告されている。
 
d0161587_7543326.jpgレーチェル・カーソンが「沈黙の春」を世に問うた同じ1962年に、セロン・G・ランドルフが「人間エコロジーと環境汚染病」(注2)を発表している。セロンは大学病院の医師として奇妙な精神症状を持つ患者を診察し続けるうちに、ミシガン湖のはるかかなたの石油の大精練工場からの排煙が、この患者の症状の原因であることを突き止める。それまで長年にわたって好・不調を不規則に繰り返す患者の症状の原因がつかめずにいたのに、それまでの記録と気象台の風向記録を突き合わせることによって、原因が明らかになった。ランドルフの研究成果を知った石油精製会社は、ランドルフに研究費の提供を申し出、ランドルフがそれを断ると大学にいられない状況になるというくらい、ランドルフの研究は核心をついたものだった。彼はあらゆる化学物質、化学製品を調べその危険性を洗い出した。(写真 注3)
 
振り返って日本を見てみよう。日本の近代化による水汚染は明治中期(1885~)の足尾鉱毒事件に始まる。1877年、明治政府から足尾鉱山を買い取った古川市兵衛は、新しい鉱脈の発見によって増産に次ぐ増産を重ねるが、その結果は渡良瀬川のアユの大量死や、下流域一帯の稲の全滅などを招いた。農民たちは鉱山の廃止を求めて立ち上がるが明治政府は彼らの困窮を顧みず、古川市兵衛は責任を認めないままに金銭を支払い農民たちを分裂させる。渡良瀬川と利根川の合流点に位置し、被害の最も大きかった谷中村は廃村を強制され、現在は遊水地となって残っている。

1956年、熊本県水俣市で感覚障害、運動失調、視野狭窄などを症状とする原因不明の病気が発見された。その原因の特定には10年以上の歳月を要し、1968年になって同市の新日本窒素肥料株式会社の水俣工場がアセトアルデヒド製造過程で触媒に用いた水銀が原因であると特定された。この時期、いわゆる戦後日本の高度成長期には、富山県でのイタイイタイ病(1961年学会報告)、三重県四日市市での四日市喘息(1963)、新潟県阿賀野川流域における新潟水俣病(1965)とたて続けに公害病が発生している。

次報(第4回)では、化学物質による水汚染、環境汚染、人体被害の現時点での諸様相について報告したい。(つづく・連載4回)

(注1)Rachel L.Carson:Silent Spring 日本語訳は最初は「生と死の妙薬」の書名で新潮社から出版された。訳者は当時の農林省に勤務していた研究者たちだったと伝えられており、訳者名はペンネームであった。
(注2)セロン・G・ランドルフ著、松村龍雄他訳 農山漁村文化協会 昭和62年
(注3)ヒメミミウのクロスビル=アメリカ五大湖において化学汚染(PCB・ダイオキシン)された魚を主食とするウに生じた奇形。クチバシの上下が揃わず、餌がとれない。〈「アナログRADIOあっとまーく」(H17年2月28日RNBラジオ、制作協力;南海放送 愛媛大学沿岸環境科学研究センター田辺信介教授出演番組)http://www.ehime-u.ac.jp/whatsnew/shokai/kouken/vol_3/radio.html〉より
第1回第2回もご覧下さい。

〔筆者プロフィール〕
1933年生まれ。東京大学農学部農学科卒、1957~1993農林水産省試験研究機関勤務、1993~1998全農営農・技術センター勤務、1999技術士事務所井上農研開業、2000~2003有機農業認定機関「有機農業推進協会」副理事長、2005~2007同「民間稲作研究所認証センター」代表、現在同センター理事、2008~現在ひらつか自治体財政研究会会長。六文会事務局長。
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# by abkd_asia | 2011-02-22 11:27 | 環境問題は、今
ボン、オータンの旅~ABKの先輩を訪ねて~(その二)    清水勇治・泰代
d0161587_20493967.jpg 次の目的地ブリュッセルへ向かう6日目、ヘンさんにケルンまで送っていただいた。ケルンはヘンさんのドイツ生活スタートの場所、1970年5月8日パリからの列車を降り、この街並みに立ったのでした。それから40年、私たちも変わらぬ街並みを歩いた。ケルンはもちろん大聖堂、そして4711オーデコロン発祥のところ。 最後に、ヘンさん馴染みのお店で甘い大きなケーキとコーヒーをいただいた。今回はドイツの豊かな香りと、ヘン大人との親しい時間に浸ることができた。
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d0161587_20534348.jpgd0161587_2054093.jpg パリからオータンへの入口となるル・クルーゾへのTGVの出発が40分遅れ、乗り継ぎバスを逃してしまった。次の連絡バスは5時間後。同様にバスを逃したお二人のフランス婦人とタクシーを相乗りし、オータンへ向かった。迎えに出られた小倉さんのご主人は、私たちが予定のバスから降りてこないので、走り去るバスを車庫まで追っかけられたとのこと、恐縮です、ありがとうございました。お住まいはオータン市街に近く、豊かな自然に囲まれていた。ご夫妻は遠来の私たちを迎え、盛り沢山な食事を手ずからご用意されておられた。
 オータン行きについては小倉さん著『オータン物語』に感動してのこと。小倉さんが手配してくださった宿は、ラザレ大聖堂が目の先の歴史地区にある15世紀の建物で、旧い建物を上手に使っていると小倉さんお気に入りのところ。
 自家製ジャムやジュースなどたくさんの朝食に大満足していると、小倉さんご夫妻がブルゴーニュへのドライブに出かけるため、宿へ向かいに来られた。愛用の自動車はトヨタ。
 ご主人クロードさんは永く高校の教師をなさっておられたので、街の中ではいたるところで教え子から声がかかり、話が始まります。ドライブに出発し途中パン屋さんに寄ったときの車の前で、朝市に案内されたときには店の方と、本当に親しくお話される。また、小倉さんにオータン市街を案内していただいたときにも、親しくされている街のお店に案内され、私たちはお勧めのなかからおみやげを購入した。オータンで45年、ただ一人の日本人だったときからオータンの大切な人になられていた。
〈つづく。連載3回。 (その一)も併せお読みください。〉
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# by abkd_asia | 2011-01-23 20:37 | よみがえれ、abkDays
胸襟開いた民間大使・崔相龍さん(韓国) 3度目の長期滞日
2010年12月23日付朝日新聞に、崔相龍(チェ・サンヤン)さんの紹介記事「留学 先駆者の歩み 百年の明日 ニッポンとコリア」が載っていますので、ここにご紹介いたします。

崔さんは、1942年慶州生まれ、ソウル大学卒業後、東京大学大学院で政治学を修められ、博士号取得の後、ハーバード大学客員教授などを歴任。現職は高麗大学校政治外交学科教授。その間、2000年から2年間駐日韓国特命全権大使の重責を果たされたことは周知の事実ですが、日本留学期間中(1965年~72年)、1968年から数年間はアジア文化会館に滞在。アジア・アフリカ・ラテンアメリカの留学生・技術研修生、日本人学生たちと生活を共にしながら、親交を深めました。崔さんは、平和研究をライフワークとされ、真摯な研究活動を続けておられますが、「大正デモクラシーと吉野作造」「北一輝の思想と行動」などの日本関連研究のほか、大きな研究成果を挙げておられます。

駐日大使を退任された後も、2002年9月には、協会創立45周年記念講演「二度の滞日と日韓新時代」  (『月刊アジアの友』2003年2・3月号収録)の講師として、また、2006年11月には、協会50周年記念第1回シンポジウム「アジアのヒューマンネットワークを問う 2006 アジアにおける対話のチャンネルを求めて」(同 2006年12月号収録)にパネリストとしてご来日頂くなど、ABKとの交流は途切れることなく続いています。そして、2010年4月からは、法政大学特任教授として3度目の長期滞在のため来日されています。
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# by abkd_asia | 2010-12-29 20:13 | アジアは、今
ボン、オータンの旅~ABKの先輩を訪ねて~(その一)    清水勇治・泰代
今度の旅行には全18人の方にお会いする旅でした。選り抜きの感想は、添付文の説明のとおりです。ヘン(フチョン)さん曰く、ヨーロッパは過去のものではなく、日本はアジアにこだわらずに見直す必要がある、と。私は、ECの壮大な目標がどう発展するかが人類のあり方のように思っているのですがとにかく、街がきれいであることが印象的でした。(勇治)

お陰様で夢のような旅でした。ヘン(フチョン)さんの暮らすドイツのボンで、アジア文化会館の話に多くの人々が登場し、なつかしく不思議なエネルギーを感じました。58日間船旅でやっとマルセイユに着いたこと、1973年5月8日、ケルンに降り立ったこと・・・・・。話は尽きません。オータン(フランス)の小倉(尚子・デュボア)さんの家では、小木曽(友)さんの奥様(書道家・小木曽青壺)の書が迎えて下さいました。ゆったりと流れる時の中に、クロ-ドさん、小倉さんから生まれる力を限りなくいただきました。 (泰代)
                     その一          

 11/2から2週間、寮の大先輩フランス・オータンの小倉尚子さんとドイツ・ボンのHeng Fu Chongさんを訪ねた。

 d0161587_2175150.jpg 私たちは空港でヘンさんに迎えられ、以降6日もの間、心暖かなガイドをしていただいた。フランクフルトからの旅の始めは、Astrid Fischerさんのお家に2晩お世話になった。アストリドさんの優しさは娘由希江から聞いていたことに違わず、穏やかで暖かな歓迎にほっとして日本にいるような気分であった。フランクフルト市内のゲーテの生家、レーマー広場、マイン川河畔、証券取引所などなどをめぐり、昼はソーセージ、夜はレストランでアップルワインとドイツ料理。列車でボンへ向かう途中で、絶景のローレライに呼び止められた!

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ヘンさんのお住いは学生寮の一角にあって、寮監の様子。入口のらせん階段を2階に上がると広間・個部屋3・台所・風呂場。ヘンさんには朝一番のコーヒーから毎度の食事を私たちのために手作りしていただいた。寮の先輩とはいえ、ヘンさんの手馴れた料理には涙がちょちょぎれるほど嬉しかった。大きな広間はヘンさんをキーにする交差点で、多くの人たちが行き交っているに違いなく、思索の場所であり、Heng Worldの基地である。ヘンさん曰く「ここは寮よりも少しよいので、寮友の来訪を待っている」とのこと!

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お住まいから道を隔てた近くにある広大な森林公園(Bonner Weg der Artenvielfalt)にでかけた。雨上がりの澄んだ空気のなか、色とりどりの木々と落ち葉が一面に積もり、広い柵の中にはイノシシや鹿がいて、そして子どもの遊び場があって、長い散策の道は羨ましいかぎりのゆとりで続いていた。ここはまさに生物多様性の世界。夏はまた別格の場所になるのでしょう。そして、ここもまたヘンさんの思索の場所なのです。旧都ボンにあって、ヘンさんの環境のなんと素晴らしいことか!

 d0161587_2192376.jpg ボン市内をライン川から市街地、ボン大学へと散策するうちに、ヘンさんはコーヒーを飲みにいくところがあるという。”Institut fur Orient- und Asienwissenschaften Abteilung fur Japonologie”の標識から中に入るとアジア研究科日本・韓国研究専攻事務室があり、窪田麻里恵さんがいらっしゃった。彼女は大学院で地理学を専攻していて、ここの求人に適ったとのこと。ちょうどコーヒータイムだという。私たちは、事務所のカウンターで美味しいコーヒーを淹れていただいた。ヘンさんのフィールドである!
(つづく 連続3回。 (その二)も併せお読みください。)

〔清水勇治氏: 新星学寮・アジア文化会館卒寮生。現アジア学生文化協会評議員。 泰代氏:元          アジア文化会館職員。高崎市在住〕                                                       
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# by abkd_asia | 2010-12-23 21:13 | よみがえれ、abkDays
〈水問題を考えよう 第2回〉 旱魃を引き起こす灌漑技術=井上 駿
                 旱魃を引き起こす灌漑技術

1.干上がったアラル海
 アラル海は黒海の東約600kmに位置する。天山山脈に源を発するアルダリア、シルダリアの両河川に潤されて、水産資源も豊かな内陸の海であった。ソ連は自然改造計画を推進する中でこの両河川を水源とする灌漑計画を立て、それまでの小麦などの灌漑を必要としない穀作から、大量の灌漑を必要とする綿花栽培に切り替えた。このことによって一時期綿花は増産されたが乾燥地帯であるこの地域に灌漑をすることにより、蒸発散による水の消失が地中の塩分を地表に引き上げ、その塩分が結晶となって農業が出来ない土地に変えてしまった。
 それまでアラル海にそそいでいた水は、灌漑用水として農地に回されそこで蒸発してしまうのでアラル海はみるみる縮小し、1960年代には6万7千km2あった面積が2003年には大アラル、小アラル合わせて1万7千km2と、4分の1にまでその面積を縮小している。漁船は干上がった湖岸に放置され舟の墓場と言われている。

2.農民の自殺まで引き起こすインドの灌漑稲作インドのパンジャプ州はこれまで小麦作地帯であったが、稲作の方が収益が上がるということから地下水をくみ上げて稲作に切り替える農家が続々と現れた。競争して地下水をくみ上げるので地下水位は年々低下する。それを補うために資金力のある農家はさらに深く井戸を掘るが資金の続かない農家は、隣の金持ち農家から水を買うか、諦めるしかない。このような状況の中で自殺する農家が後を絶たないと報じられている。

3.水収支バランスを捨てたアメリカ農業
北アメリカ中西部の、北はサウスダコタ州、ワァイオミング州から南はテキサス州にいたる広大な地域に、オガララ帯水層という地下水帯がある。この地帯は乾燥地帯ないしは半乾燥地帯で以前は小麦を2年に一回作付し、2年分の雨量で小麦を1年作り、後の1年は休ませて雨水を地中に保存するという栽培をしていた。地下水くみ上げの技術と灌漑技術が発達することによって、地下水による灌漑が普通のこととなり、水消費量の多いトウモロコシが連続して栽培されるようになった。トウモロコシは飼料向けであったり、相場によっては石油に代わるバイオ燃料の原料に向けられる。オガララ帯水層は今や枯渇の寸前にあるが規制が出来ず、打つ手がないと言われている。

写真(上)センターピボット灌漑方式の末端。パイプラインの長さは500m。これが旋回して半径500mの円形圃場に灌水する。(下)モンタナ州の2年1作の小麦栽培
(LIFE誌1955Feb)
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4.灌漑技術の功罪
 以上に見てきたように、灌漑の技術は発達したがそれは一方で水の浪費を生んでしまった。その地域にもたらされる雨量に見合った農業を営むことが持続的な農業であり、数千年にわたって貯えられてきた地下水を使い尽くすまでくみ上げてしまうことは略奪農業である。一見近代的な農業技術を駆使しているように見えながら、実は前後の見境もなく略奪農業を進めている私たちは、むしろ、古来から自然との付き合い方を探求してきた従来の農法に立ち返らなければならない時に来ているのであろう。(つづく・連載4回)

〔筆者プロフィール〕
1933年生まれ。東京大学農学部農学科卒、1957~1993農林水産省試験研究機関勤務、1993~1998全農営農・技術センター勤務、1999技術士事務所井上農研開業、2000~2003有機農業認定機関「有機農業推進協会」副理事長、2005~2007同「民間稲作研究所認証センター」代表、現在同センター理事、2008~現在ひらつか自治体財政研究会会長。六文会事務局長。
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# by abkd_asia | 2010-12-19 10:49 | 環境問題は、今